マッチャンのBlogで何回も紹介させてもらったイチローこと、小島一郎。
6年前にGARAGEBUGでビートルを買ってくれたのが縁の始まり。
そのイチローと会う為に先週の火曜日、神奈川県まで行って来ました。
マッチャンに行く決意をさせたのがイチローが送って来た動画。
車椅子から辛そうに降りてビートルのオイル交換してるんですわ。
不自由な体になってから初めてオイル交換出来たと、真っ先に送って来てくれました。
これ見た時、涙が止まりませんでしたわ。
この頑張りと努力とチャレンジ精神を讃えに。
行かなアカンって思ったね。
6年前のイチローの状態と言うとほぼ全身の8割が麻痺の状態。
2009年6月に細菌性心内膜炎から脳幹梗塞を併発。
右目の視力も失いました。
その約2年後に以前乗っていた空冷ビートルを買う決意をして。(以前は356スピードスターやけどね。)
購入の際、神奈川から代理の友人二人が来られました。
その時はマッチャンも全くイチローのことを知らなかったんで、
「今日は小島さんは来れなかったん?」って聞きました。
そしたら友人二人が
「小島さん来れないんで代わりに見に来ました。」って。
「小島さん、今日は仕事?」
「実は小島さんはほぼ全身麻痺で来る事が出来ないんです。」
「小島さん、車を運転出来る可能性はあるん?」
「無いです。」
このやり取り、今でも鮮明に覚えてるなぁ。
ショック!驚き!どう言う事?って。
やり取りの後は「俺を信じてこの車を持って帰ってくれ!」
これが小島一郎との始まり。
それからほぼ毎日メールのやり取り。
励ましメールが殆どやったかな。
「小島さんおはようございます。」から始まって
「今日も頑張って下さい」みたいな。
毎日メールやってたら敬語で送るのが面倒臭くなって、ある日マッチャンが
「今日からお前のことはイチローや!」
ここから本当の親友付き合いになっていったね。
それから約1年2ヶ月後やったと思うけど奇跡が起こり何とイチローがビートルを運転出来るようになって。
でもここまで来るには死に物狂いのリハビリ、それとイチローのビートルに乗る!っていう執念、それとイチローのアイデアとかいろんな事をクリアして行きました。
ちょっとアイデアに触れるけど、この画像見てね。



まずこのビートルはスポルトマチックと言うクラッチの無いセミオートマです。
イチローは右半身が麻痺してるんで左手と左足だけで運転してるんです。
この装置はイチローが考えたアシスト装置。
左足のかかとを後ろに引くとテコの原理の様にアクセルが押される仕組み。
ブレーキを踏むとアクセルが戻ります。
これを完成させる迄には色んな努力が。
まず図面を作り、それを両親に手伝ってもらって木型を。
それを持って市の福祉課に申請。
補助金が認められ車に装着開始。
完成したら認可を受けに。
この装置には警察の方もビックリした様です。
認可が降りればそこからまたSTEP UPする為に過酷なリハビリ。
今や高速を2時間も走り、自走でイベントにも参加出来る様になってます。
車の事だけじゃ無いんですよ。
実はイチローは画家でも有ります。
でも一時は利き腕の右手が全く動かなくなったので諦めかけてたのですが、まだ左手が有る!とそこから猛特訓。
今度紹介しますが見れば驚きますよ。
これが利き腕じゃないひだりてで描いた絵かと。
現在も定期的に個展を開いてるみたいです。
会いに行って驚きの連発でした。
想像以上に強くたくましかったなぁ。(気持ちと精神力が)
イチローは
命があれば何でも出来る!
出来ない事は無い!
ずっとこう言ってました。
イチローの次の目標は、もう一度356スピードスターに乗る事。
その為に現在も毎日猛特訓してます。
イチロー見てて、俺がもしイチローの様になったらこんな事出来るんやろか?って自分に疑問を抱きます。
正直なところ自信は無い。
でもイチローがいる限り、諦める事だけは出来ない!
やらな応援団長としてのカッコがつかん!
何事も諦めずにチャレンジやれ!
これがイチローが教えてくれた事と植え付けてくれた事やね。
最後に今回神奈川県までイチローに会いに行くと言ったら栃木県のカルマンギアが縁で親友になった桑名さんもご夫婦で駆け付けて頂きました。
桑名さんはイチローの個展には車椅子を押しに行ってくれる親切で凄く熱い方なんですよ。
いつか3人で出会おうと約束してた日が遂に実現しました。
桑名さん、本当に有難うございました。
次は桑名さんが兵庫県までイチローを連れて来る!って
これも間違いなく実現するでしょう。
イチローはこれからも沢山の人に勇気と希望を与えてくれますよ。
皆さんも応援して下さいね。
最後に、会いに行って良かった!
心からそう思ってるで、イチロー😄


イチローとクワちゃんとマッチャン。
6年前にGARAGEBUGでビートルを買ってくれたのが縁の始まり。
そのイチローと会う為に先週の火曜日、神奈川県まで行って来ました。
マッチャンに行く決意をさせたのがイチローが送って来た動画。
車椅子から辛そうに降りてビートルのオイル交換してるんですわ。
不自由な体になってから初めてオイル交換出来たと、真っ先に送って来てくれました。
これ見た時、涙が止まりませんでしたわ。
この頑張りと努力とチャレンジ精神を讃えに。
行かなアカンって思ったね。
6年前のイチローの状態と言うとほぼ全身の8割が麻痺の状態。
2009年6月に細菌性心内膜炎から脳幹梗塞を併発。
右目の視力も失いました。
その約2年後に以前乗っていた空冷ビートルを買う決意をして。(以前は356スピードスターやけどね。)
購入の際、神奈川から代理の友人二人が来られました。
その時はマッチャンも全くイチローのことを知らなかったんで、
「今日は小島さんは来れなかったん?」って聞きました。
そしたら友人二人が
「小島さん来れないんで代わりに見に来ました。」って。
「小島さん、今日は仕事?」
「実は小島さんはほぼ全身麻痺で来る事が出来ないんです。」
「小島さん、車を運転出来る可能性はあるん?」
「無いです。」
このやり取り、今でも鮮明に覚えてるなぁ。
ショック!驚き!どう言う事?って。
やり取りの後は「俺を信じてこの車を持って帰ってくれ!」
これが小島一郎との始まり。
それからほぼ毎日メールのやり取り。
励ましメールが殆どやったかな。
「小島さんおはようございます。」から始まって
「今日も頑張って下さい」みたいな。
毎日メールやってたら敬語で送るのが面倒臭くなって、ある日マッチャンが
「今日からお前のことはイチローや!」
ここから本当の親友付き合いになっていったね。
それから約1年2ヶ月後やったと思うけど奇跡が起こり何とイチローがビートルを運転出来るようになって。
でもここまで来るには死に物狂いのリハビリ、それとイチローのビートルに乗る!っていう執念、それとイチローのアイデアとかいろんな事をクリアして行きました。
ちょっとアイデアに触れるけど、この画像見てね。



まずこのビートルはスポルトマチックと言うクラッチの無いセミオートマです。
イチローは右半身が麻痺してるんで左手と左足だけで運転してるんです。
この装置はイチローが考えたアシスト装置。
左足のかかとを後ろに引くとテコの原理の様にアクセルが押される仕組み。
ブレーキを踏むとアクセルが戻ります。
これを完成させる迄には色んな努力が。
まず図面を作り、それを両親に手伝ってもらって木型を。
それを持って市の福祉課に申請。
補助金が認められ車に装着開始。
完成したら認可を受けに。
この装置には警察の方もビックリした様です。
認可が降りればそこからまたSTEP UPする為に過酷なリハビリ。
今や高速を2時間も走り、自走でイベントにも参加出来る様になってます。
車の事だけじゃ無いんですよ。
実はイチローは画家でも有ります。
でも一時は利き腕の右手が全く動かなくなったので諦めかけてたのですが、まだ左手が有る!とそこから猛特訓。
今度紹介しますが見れば驚きますよ。
これが利き腕じゃないひだりてで描いた絵かと。
現在も定期的に個展を開いてるみたいです。
会いに行って驚きの連発でした。
想像以上に強くたくましかったなぁ。(気持ちと精神力が)
イチローは
命があれば何でも出来る!
出来ない事は無い!
ずっとこう言ってました。
イチローの次の目標は、もう一度356スピードスターに乗る事。
その為に現在も毎日猛特訓してます。
イチロー見てて、俺がもしイチローの様になったらこんな事出来るんやろか?って自分に疑問を抱きます。
正直なところ自信は無い。
でもイチローがいる限り、諦める事だけは出来ない!
やらな応援団長としてのカッコがつかん!
何事も諦めずにチャレンジやれ!
これがイチローが教えてくれた事と植え付けてくれた事やね。
最後に今回神奈川県までイチローに会いに行くと言ったら栃木県のカルマンギアが縁で親友になった桑名さんもご夫婦で駆け付けて頂きました。
桑名さんはイチローの個展には車椅子を押しに行ってくれる親切で凄く熱い方なんですよ。
いつか3人で出会おうと約束してた日が遂に実現しました。
桑名さん、本当に有難うございました。
次は桑名さんが兵庫県までイチローを連れて来る!って
これも間違いなく実現するでしょう。
イチローはこれからも沢山の人に勇気と希望を与えてくれますよ。
皆さんも応援して下さいね。
最後に、会いに行って良かった!
心からそう思ってるで、イチロー😄


イチローとクワちゃんとマッチャン。
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